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嬉野温泉は日本で初めて温泉水の科学分析が行われた温泉地!!

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2024年04月03日 22:05

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こんつるん🥚✨つるふぇったです❣

 

今回は日本温泉協会著 温泉図鑑~文化編~より嬉野温泉の記載がある部分を抜粋させていただきます。

 

🌟温泉発見伝説と信仰( Hot Spring Discovery Legends and Beliefs  )

 

温泉発見伝説ができる理由として、一つは伝説どおりとはいかなくても、それに近い歴史的な出来事や人物により温泉地が開かれた場合が考えられます。温泉信仰も伝説を生み出す大きな要素です。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)や神功皇后にまつわる記紀神話、英雄譚も温泉地のイメージアップのために伝説に援用されたようです。また、山間部に湧く温泉が発見される機会を推測したり、動物の温泉利用から生まれた伝説もあります。こうした理由や動機は、重なり合うことがあるでしょう。

🌟温泉地の建築(Architecture of Spas)

 

温泉地は源泉を中心に展開した特殊な町です。したがって温泉地を構成する建築物としても、まずは旅館・ホテル等の宿泊施設が目立った存在です。また温泉地の中心部や要所には共同浴場があり、多くの人々が集まる場所となっています。そしてこれら建築物の規模や形態は歴史的に大きく変化しています。近代において建設技術が大きく進展するとともに、温泉地が観光地化して多くの人々(観光客)が来訪するようになって、建築物も大規模化、多機能化してきました。そして現在もまた、観光離れの形式やデザイナーズホテルなども現れてきており、それら全てが混在しているのが現状です。

シンボルとしての共同浴場

嬉野温泉シーボルトの湯は洋風デザイン

🌟温泉遺産(Hot Spring Heritage)

 

日本の温泉遺産

日本では、温泉は各地で古くから知られ、『肥前国風土紀』には嬉野温泉、武雄温泉、雲仙温泉などの温泉が紹介されています。江戸時代後期ドイツ人シーボルトが1829年(文政9)に商館長の江戸参府に随行した際、嬉野温泉に立ち寄り、日本で初めて温泉水の科学分析を行いました。

🌟温泉研究の歩み(History Of Hot Spring Studies)

外国人による日本の温泉研究

1826年2月17日シーボルトの薬剤官の助手ピュルゲル(ピュルガー)がドイツ語で各地温泉水の分析をしました。

‘‘この温泉は山の麓の石膏層の上にあり、そこを掘りぬいた長さ約6フィート、深さ2フィートの湯壺に、沸騰し泡立ちながら湧き出している。底では砂が舞い上がり、その中にはたえず気泡が生じ、枠は炭酸石灰変わりなくすっかり澄み切っていて透明である。臭いは弱く硫黄をふくんでいる(が硫化水素の臭いではない)。味はやや甘味があり、比重は0.995である。湧きでる湯の温度は列氏74から75度(約90から91度)であるから、卵は数分でかたくゆであがってしまった。この源泉を科学的に調査したピュルガー君は次の結果を得た。「石灰石には沈殿物はない。酢酸鉛は水を強く乳濁させた。硫酸酸化第一鉄は緑色となり、濃縮された酸は気泡を生せず、没食子(もっしょくし)チンキと鉄青酸カリウムは変化を起こさない。塩酸酸化バリウムは強い白色の沈殿をきたし、硝酸銀はそれを乳濁した」。これらのことから、この水の中には主として硫酸塩と少量の塩酸塩が溶解して含まれていると考えられる。”

『江戸参府紀行』シーボルト著斉藤信訳より抜粋

多くの試験用薬品を用いて調べた立派な内容と言えましょう。この時まで、日本では温泉水の科学分析はなされていなかったのです。

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嬉野温泉にシーボルトの湯があること、また、シーボルトの湯はシーボルトが来たぐらいにしかわたしは考えていませんでしたが、まさか日本初の温泉の科学分析がなされた温泉地だったとは驚きました🙄‼️

シーボルトの弟子ピュルゲル(ピュルガー)がシーボルトと一緒に来なければ嬉野は日本最古の分析地とはならなかったでしょう☺️✨

嬉野から世界を沸かす🌏きっかけのひとつとしてこのことが広まるとうれしーの😊✨

つるふぇった🥚✨

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